奈良県の旅館 宿 奈良 五條吉野山飛鳥地域の宿泊に藤井館公式HP |
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〒637-0005
奈良県五條市須恵1丁目10-4
TEL:0747-22-2010
FAX:0747-22-3113 |
奈良の吉野山、明日香村、御所市、和歌山の高野山、橋本市などの観光に便利な旅館です |
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橋本市〜和歌山市へ 紀ノ川流域案内(宿のオヤジのブログから) |
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紀の川市の粉河寺(こかわでら) 西国三十三ヶ所巡礼 第3番札所
和歌山方面へ出かけた時に、そろそろ西国三十三ヶ所観音巡りをしないといかんなと、粉河寺(こかわでら)へお参りしてきました。
子供のころからよく連れられて来てたのですが、疎遠になってましたので新鮮です。
五條市からですと、紀ノ川沿いに和歌山方面へ30キロ、車で40〜50分、電車ですと50分(各駅停車でゆっくりと)という地ですから、そう遠くありません。
粉河寺の入口の赤く塗られた大きな大門をくぐり、境内の川沿いをブラブラ行くと、四天王を安置した、立派な中門があります。中門をくぐり中に入ると、若山牧水の歌碑や松尾芭蕉の句碑が。
さすが名だたる西国三十三ヶ所観音巡礼の札所という雰囲気を感じ取れます。
観音さんめぐりということですから、宗派も関係無いので、なぜか明るい。
本堂前の石組みは、桃山時代の枯山水の庭園ということなのですが・・・理解不能。
でも、見てると飽きないすばらしい迫力があります。
本堂もでっかくて、前の石組みが寂しく見えるほどの貫禄があります。
江戸中期の代表的寺院建築で、重要文化財に指定された豪快でどっしりしたお気に入りの本堂です。
三十三ヶ所札所めぐりの巡礼さんも沢山お参りしていて、神妙に般若心経をあげたりご詠歌をとなえています。
まだそこまで熱心にという心境にはなれませんが、集印帳をお分け頂き、はじめて書いてもらいました。
ここからスタートとなりますが、5〜6年かけて気長に巡ろうかなと思っています。
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岩出市の根来寺(ねごろじ)へ
粉河寺へお参りした時に、少し足を伸ばして岩出市の根来寺へ。
紀ノ川流域ではトップクラスの大寺院で、根来忍者・根来鉄砲集団・根来塗りなど、歴史にも登場します。
根来寺の総門である立派な大門を見て、駐車場の方へ行ったわけですが、半端じゃないほど広い寺域を誇るお寺ですから、結構離れています。
東西20町南北12町の三角形で、120ha(34万坪)の境内で、室町末期には寺領72万石、数万という僧兵を持った一大勢力であったということですが、静かな境内の広さのみでは想像できません。
天正13年(1585)の、羽柴(豊臣)秀吉の根来攻めで伽藍のほとんどを焼失し、徳川家(紀州の殿様)によって現在のように再興されました。
今回の目的は、秀吉の焼討ちで焼失を免れた、根来寺のシンボルともいえる大塔をじっくり見たい!だったのですが、区画の門は閉まっていて、お堂の戸を閉めているところでした。
門の隙間から寂しく眺めましたが、高さ40mというすばらしい多宝塔です。
開山された興教大師かくばん上人は、衰えていた真言宗の本山である高野山を復興統合し、中興の祖と仰がれながらも高野山を降り、新義真言宗として根来寺を開き、49歳の若さでお亡くなりになった。
知りませんでしたが、ものすごい波乱万丈の生涯のようです。
本坊(いい庭園があるみたい)や光明殿、それに浄土池などを巡り、鐘楼門を下り(逆周りだったかも)、駐車場に戻ろうとすると、門の手前右側の木々の間に気を引かれる建物がありました。
閉鎖され人気は無く、少し不気味な感じはしますが、近寄って確認すると、明治30年に建築された和歌山県議会議事堂を昭和37年に移築保存したもので、一乗閣と命名された建物だということです。
閉鎖されてからかなりたつのか、窓が割れたり壁の漆喰が落ち、かなり傷んでるようで危うい感じがしてなりません。
気になって調べてみると、登録有形文化財にも指定され、再度の移築保存の動きがあり進んでいたようですが、根来の埋蔵遺跡とのからみでなかなかうまくいってないようです。
美術的な価値ではなんともいえませんが、社会的な近代遺産ですので、うまく保存されることを祈りたいすばらしい建物です(中を見たい!)。
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九度山町の慈尊院(紀ノ川の近くです)
高野口ICまで簡単に行けるようになったので、高野山を見直してみようと、チェックをはじめてみました。
まずは橋本市高野口の紀ノ川対岸、九度山町にある世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録された慈尊院から。
高野参詣大橋を渡り左折し少し行くと、お寺の前の参道が石畳できれいに整備され、いい雰囲気になってます。
山門を入るとまず目に付くのが、多宝塔と左側にある丹生官省符神社の鳥居と石段。
かつて高野山全域を統括する政所(事務所)が山麓におかれてましたが、紀ノ川の洪水で壊滅し高野山上へ移転、慈尊院はその名残のお寺と言われています。
弘法大師の母がここに住まれ、やがて亡くなられた後、お大師さんが母の霊と弥勒菩薩を安置されたので、弥勒菩薩の別名・慈尊を院の名前としたということです。
慈尊院は「女人高野」と呼ばれ、古くは女性のお参りはここまででした。
ご本尊の弥勒仏坐像は平安時代初期の制作で、国宝に指定されており、21年に1回しかお目にかかれない秘仏ということです、知りませんでした・・・
世界遺産に登録された時、特別御開帳されたらしいですが、次回は2015年とか・・・
なぜか気になる、境内に掲げられた、有吉佐和子著の小説「紀ノ川」の一節と、
美術的にすぐれた文化財どうこうというのではなく、生活に密着した血の通った活き活きしたものだと感じられる、親しみの持てるお寺です。
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九度山町の丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社と高野山町石道
慈尊院と対になるように、丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社があります。
主祭神は丹生都比売(にうつひめ)大神と高野御子大神(空海を高野山へ導いた狩場明神?)です。
空海が高野山を開山する時、地元の中心となる有力な神様と高野山へ導いてくれた神様を大切にお祭りすることで、地元との融合を図ったのでしょう。
明治の神仏分離でがらんとした神域になってますが、春日造りの本殿はなかなか立派なものです。
神社へ登る石段の途中にある石鳥居の右側に、高野山町石道の登りのスタート、降りのゴールとなる、第百八十番の町石があります。
高野山参詣道はいろいろありますが、九度山からの高野山町石道が本通りとなってます。
1町、すなわち約109Mごとに町石が建てられ、高野山の中心聖地となる山上伽藍まで180基、伽藍から奥の院の御廟まで36基、プラス4基で計220基。
220×109ですから、約24キロあるわけだ・・・
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九度山町の勝利寺&紙遊苑
高野山の登り口に当たる、九度山町の慈尊院の上、高野山町石道沿いに勝利寺があります。
このお寺は、弘法大師がおまつりした厄除けの十一面観音様を本尊としてますが、高野山開山以前からある古刹ということで、高野山町石道の玄関として栄えたそうです。
登り口には真っ赤な手すりのある急な石段があり、目立ちます。
石段を登ろうとよく見ると、紀州の青石として庭石などで名高い緑泥片岩で作られた階段なので、「お〜!すげえにゃ〜!」と、感動してしまいました。
石段の上には、勝利寺に入る山門としての仁王門があります。
門に安置されている仁王様は、なかなかよくて目が離せません。
境内には紙遊苑という名の、趣と風情のある落ち着いた建物があります。
今では廃れてしまった九度山特産の高野紙、別名として地区の名から古沢(こさわ)紙を伝えるため設置されたもので、前もって申し込めば紙漉き体験もできるということです。
内部は高野紙の展示場となってますが、天井に飾られた凧が気になります。
紙遊苑の裏側にまわると、紀ノ川や葛城山系を見渡すことが出来るので、お天気がいい日だったらな〜と、思ってしまいました。
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京奈和道・橋本道路が全線開通
京奈和道・橋本道路の、工事がうまくいかず先送りになってた未開通部分が開通したというので、どれだけ便利になったのか確認するために(もちろん口実)、こんな雨模様の日に走らなくても良いのですが、ウキウキして早速走ってきました。
近くの五條ICから終点の高野口IC・高野口九度山出口まで、距離にすると約15キロ程ですが、制限速度の60キロで15分ですから、ほんとに快適で気持ちいい!
時間が短縮され便利になったものです。
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和歌山県 紀の川市の桃の花
吉野山の桜を見に行くために泊まられたお客さんから、「桃源郷は満開でよかったよ〜!すごかった!」とお聞きし、たまらなくなって和歌山県紀の川市桃山町へ桃の花を見にいってきました。
「あら川の桃」として有名な、日本有数の桃の産地で、桃の木がたくさんあるのは知ってましたが、まだ花が咲いてる時に出かけたことはありませんでした。
打田というところから紀ノ川を渡り、川南の桃山町へ入ります。
五條市からですと、高野口まで高速が利用できるので、丁度1時間、結構早く行けるようになりました。
紀ノ川の堤防沿いの「桃源郷」へ行くと、見渡す限り一面の桃の花!
真っ盛りでほんとにきれいで、うれしくなってきます。
時のたつのも忘れて、堤防沿いを行ったり来たり。
たくさんの農家の方が箒のようなので花をこするような作業をされてたので、摘花なんでしょうか、まもなく花も終わりなのかもしれません。
満足して帰ろうとすると、山からパラグライダーなんでしょうか、いくつもクルクル大きな円を描きながら降りてきました。
またしても、ぼけ〜っと、いいな〜!気持ちよさそう、やりたいな〜!と飽きずに眺めてると、紀ノ川の対岸の河川敷へ降りていきます。
龍門山といういいパラグライダーのスポットがあると聞いたことがあるのですが、ここなのかもしれません。
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橋本市 子安地蔵寺の藤
関西花の寺第二十四番札所、橋本市菖蒲谷の子安地蔵寺へ藤の花を見に行ってきました。
高速道路の開通で便利になりましたので、30分もあれば到着です。
外の藤はそう咲いてず、まだ少し早すぎたかとガッカリしてたのですが、門をくぐり境内に入ると、写真のような状態で来た甲斐がありました。
来てる人に聞いた話では、藤にもいろんな種類があって、咲く時期も少しずつずれるということです。
赤長藤と白カピタンが満開で、白野田藤が結構咲き出したということでしたが、花にはうといのでよくわかりません。
でも、咲いてない種類が沢山あるので、まだまだこれから楽しめるということだけはわかりました。
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和歌山県橋本市 恋野の里
いいお天気なのにつられて川南の見晴らしの良い農免道路を、和歌山県の方へドライブ。
田んぼには水が張られて、田植え準備の真っ盛り、まもなく青々としたきれいな田んぼを眺めることが出来ます。
和歌山県の入った所の、橋本市恋野にある「あじさいの里」に立ち寄りましたが、まだ早すぎたようです。
あじさいのつぼみは沢山付いてるのですが、色の着いてるのはほんの少し・・・
あじさいというものは、花が大きくなって開いてからお日様にあたり、色付いてくるのでしょうか?花が小さいのは、少し緑がかった白で、なんとなくぼけてました。
「あじさいの里」の手前にある、中将ヶ森(観音の森)にも立ち寄りました。
この森は、奈良県葛城市の当麻寺に伝わる中将姫にゆかりのある地で、中将姫が観音様をおまつりし、池に蓮を植えてこよなく愛でたと伝えられています。
道路の方から見ると、子供の遊具などもある普通の鎮守の森さんなんですが、奥の反対側から見ると、巨大な古木がうっそうとして、なかなかのものです。
奥の一角にある小さな池では、睡蓮(すいれん)の花が沢山咲いてました。
小ぶりな花ですが、清楚で可憐、ほれぼれしてしまいました。
驚かせてしまったのか、沢山のカエルさんが、バチャバチャとにぎやかではありましたが。
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橋本市 恋野のあじさい園
ふと思い出し、奈良県と和歌山県の県境、真土峠の落合川にかかる「飛び越え岩」に立ち寄ろうと思ったんですが、このあたりに来たのは中学生のころ以来。
案の定、カブトやクワガタやホタルが沢山出そうな所をウロウロと迷って、たどり着けずじまい・・・
気を取り直して、紀ノ川南岸の高台にある恋野の里を目指しました。
あじさい園も最初のころは寂しかったのですが、株が大きくなり、だんだんと見ごたえが出てきました。
池越しに金剛山をきれいに眺めることも出来ます。
地元の来られてた人に聞いたのですが、最初はもっといろんな色のアジサイの株を植えたはずなんだけど、交配して混ざってしまったのか、だんだんよく似た色になってきたと言われてました。
ほんまなんかの〜?とは思いましたが、よくわかりません。
日当たりの良い早く咲いたアジサイの花は終って枯れかけてましたが、陰らになる部分はまだ咲き出して間がないのか、ほんとにきれいで見ごたえがありました。
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同じ川の流域ということで慣れ親しんだお隣地区、いい見所を探したいと思います。 |
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