奈良県の旅館 宿 五條 吉野山 飛鳥めぐりの宿泊に藤井館公式HP
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奈良県五條市須恵1丁目10-4 
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奈良の吉野山、明日香村、御所市、和歌山の高野山、橋本市などの観光に便利な旅館です
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高野山案内(宿のオヤジのブログから高野山関連を)

高野山へ その1 慈尊院(九度山町)

高野口ICまで簡単に行けるようになったので、高野山を見直してみようと、チェックをはじめてみました。
まずは橋本市高野口の紀ノ川対岸、九度山町にある慈尊院から。


高野山下・慈尊院参道高野山下・慈尊院山門より







高野参詣大橋を渡り左折し、慈尊院の所で右折すると、お寺の前の参道が石畳できれいに整備され、いい雰囲気になってます。
山門を入るとまず目に付くのが、多宝塔と左側にある丹生官省符神社の鳥居と石段。


高野山下・慈尊院本堂高野山下・慈尊院多宝塔







かつて高野山全域を統括する政所(事務所)が山麓におかれてましたが、紀ノ川の洪水で壊滅し高野山上へ移転、慈尊院はその名残のお寺と言われています。
弘法大師の母がここに住まれ、やがて亡くなられた後、お大師さんが母の霊と弥勒菩薩を安置されたので、弥勒菩薩の別名・慈尊を院の名前としたということです。
慈尊院は「女人高野」と呼ばれ、古くは女性のお参りはここまででした。
ご本尊の弥勒仏坐像は平安時代初期の制作で、国宝に指定されており、21年に1回しかお目にかかれない秘仏ということです、知りませんでした・・・
世界遺産に登録された時、特別御開帳されたらしいですが、次回は2015年とか・・・


小説「紀ノ川」より世界遺産登録記念碑







なぜか気になる、境内に掲げられた、有吉佐和子著の小説「紀ノ川」の一節と、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に、この慈尊院が登録された時の平山郁夫書になる記念碑。
美術的にすぐれた文化財どうこうというのではなく、生活に密着した血の通った活き活きしたものだと感じられる、親しみの持てるお寺です。

高野山へ その2 高野山町石道ほか(九度山町)

丹生官省符神社高野山下・180町石







慈尊院と対になるように、丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社があります。
この神社にはいろいろな有名な神様がお祭りされていますが、主祭神は丹生都比売(にうつひめ)大神と高野御子大神(空海を高野山へ導いた狩場明神)と想像できます。
空海が高野山を開山する時、地元の中心となる有力な神様と高野山へ導いてくれた神様を大切にお祭りすることで、地元との融合を図ったのでしょう。
明治の神仏分離でがらんとした神域になってますが、春日造りの本殿はなかなか立派なものです。
神社へ登る石段の途中にある石鳥居の右側に、高野山町石道の登りのスタート、降りのゴールとなる、第百八十番の町石があります。


高野山町石道説明板高野山下・179番町石







高野山参詣道はいろいろありますが、九度山からの高野山町石道が本通りとなってます。
1町、すなわち約109Mごとに町石が建てられ、高野山の中心聖地となる山上伽藍まで180基、伽藍から奥の院の御廟まで36基、プラス4基で計220基。
220×109ですから、約24キロあるわけだ・・・
山の下が海抜90Mあまり、山の上が800Mあまりですから、標高差は700M。
挑戦したくても、今の私の体力と根性ではとてもやないけど無理そうなので、鍛えて何年か先に挑戦することにいたします。
右の写真は、神社の向こう側にある179番町石です。
どちらも3メーターほどある、でかい立派なもので、すべてがこうらしいです。

高野山へ その3 勝利寺&紙遊苑(九度山町)

高野山の登り口に当たる、九度山町の慈尊院の上、高野山町石道沿いに勝利寺があります。
勝利寺は、弘法大師がおまつりした厄除けの十一面観音様を本尊としてますが、高野山開山以前からある古刹ということで、高野山町石道の玄関として栄えたそうです。


勝利寺石段勝利寺仁王門







登り口には真っ赤な手すりのある急な石段があり、目立ちます。
石段を登ろうとよく見ると、紀州の青石として庭石などで名高い緑泥片岩で作られた階段なので、「お〜!すげえにゃ〜!」と、感動してしまいました。
石段の上には、勝利寺に入る山門としての仁王門があります。


仁王様 阿形仁王・吽(うん)形







門に安置されている、口をあけた阿(あ)形の仁王様と口を閉じた吽(うん)形の仁王様は、なかなかよくて目が離せません。

紙遊苑紙遊苑内部







境内には紙遊苑という名の、趣と風情のある落ち着いた建物があります。
今では廃れてしまった九度山特産の高野紙、別名として地区の名から古沢(こさわ)紙を伝えるため設置されたもので、前もって申し込めば紙漉き体験もできるということです。
内部は高野紙の展示場となってますが、天井に飾られた凧が気になります。

紀ノ川を望むみかんの一種







紙遊苑の裏側にまわると、紀ノ川や葛城山系を見渡すことが出来るので、お天気がいい日だったらな〜と、思ってしまいました。
和歌山県、紀州といえば「みかん」、青い実がたくさんなっててさすがです。


高野山へ その4 丹生都比売神社(かつらぎ町)

和歌山県伊都郡かつらぎ町の南東部、高野山町石道に隣接した所に「天野の里」があります。
高野山へ行った時、回り道をして帰りに立ち寄ったことがありますが、くだりの途中でしたのでそう印象深いものではありませんでした。
高野山開山にかかわりの深い丹生都比売(にうつひめ)神社が天野に鎮座してますので、紀ノ川沿いの笠田の所から高野山へ登る、国道480号で行ってみました。
くねくねと山の中をかなり登り、途中からわかれ天野の方向に行ってトンネルをくぐると、うわ〜!と仰天。

天野の里1天野の里2







調べると標高は450mということですが、こんな高台に山々に囲まれた下界の見えない盆地があり、水田には稲穂が青々というのは驚き!
ここは別世界、山奥の豊かな隠れ里という雰囲気です。


丹生都比売神社1丹生都比売神社2







天野盆地を西から東へ横切り、東の山すそにある丹生都比売神社へ。
鳥居をくぐり、立派な太鼓橋を渡ると、木々の隙間からお目当ての楼門が見えてきます。
木々もうっそうとして厳粛なすがすがしい気持ちになってきます。


丹生都比売神社3丹生都比売神社4







この神社の御由緒をかいつまんで抜粋させていただくと、

創建されたのは古く、今から千七百年前のことと伝えられます。天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神祝詞』によれば、丹生都比売大神は天照大御神の御妹神さまで、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。
『播磨国風土記』によれば、神功皇后の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来たため、これに感謝し応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進されたとあります。
ご祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。当社は、その総本社であります。
丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。これ以降、神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されてゆきました。中世、数多くの堂塔が建てられ、明治の神仏分離まで当社は五十六人の神主と僧侶で守られてきました。
鎌倉時代には、気比神宮から大食都比売大神、厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条政子により寄進され、本殿が四殿となり、室町時代に復興され、一間社春日造では日本一の規模を誇り、楼門とともに重要文化財に指定されています。

長文でしたので抜粋になり申しわけありません。
詳しく調べられたい方は丹生都比売神社のHPでご確認ください。
神社の神仏分離以前の3DCG再現映像もあり、本当に頑張られてるようです。


丹生都比売神社5丹生都比売神社6







どの方角から眺めても、すばらしい楼門と、彩色豊かな立派な本殿です。
本殿の建物はでかいと思いましたが、二重構造になってて、内部にまたお社があるそうです。
神域を流れる小川の左対岸には、廃仏毀釈で残っていませんがお寺の堂塔が多数あったそうで、石の碑や場所の案内看板のみで当時をうかがうことが出来るだけです。

帰りは県道109号を妙寺の方へくねくねと逆落とし、結構きつかったです。


高野山へ その5 高野山壇上伽藍(高野町)

高野山への案内をしてみようと思ってはじめたものの、なかなか山上へ行く時間が取れませんでしたが、ようやく空き時間が出来たので行ってきました。

和歌山県橋本市から九度山方面にむかい、九度山から以前は有料道路(今は無料)だった、通称・高野山道路の国道370号をのぼり、花坂交差点を国道480号にとると高野山にたどり着きます。
橋本市からですと約30キロ弱、標高差がかなりある山へ登るくねくねした道路ですから、時間にして1時間ほどかかります。
橋本から左回りで奥の院の方へ登る国道371号は、狭い箇所が多数あり走りにくいですから、ご注意を。


高野山 大門大門前 温度表示板







時間が取れたから、さあ!行こうは大間違い。
夏休み最後の日曜というのをうっかり忘れてたため、上り下りの車の混雑に巻き込まれ、かなり時間がかかり疲れました。
日曜祭日は混雑する時間の前か後に行くが鉄則です。
久しぶり(いつもはこの前を通りません)の大門、ここが山岳宗教都市・高野山の正門となります。
何度見てもでかくて、お〜!です。
気温も、下界よりは5度ほど低くて快適!(冬は寒いです!)


根本大塔御影堂







高野山の総本山は金剛峯寺(こんごうぶじ)で、壇上伽藍とは別にお寺はありますが、元は高野山全体の総称で、重要な儀式はすべて壇上伽藍で行われます。
真言密教の中心仏・大日如来を祀る根本大塔や西塔などの多宝塔を中心とした根本道場となっおり、弘法大師を祀る御影堂も大塔の左側に。


明神社明神社と山王院







金堂の左側に鳥居があり、山王院と、その後ろに明神社があります。
御社(みやしろ)と呼ばれ、祭神は高野山開山にかかわりの深い、丹生都比売(にうつひめ)と高野明神で、山王院は神社でいうところの拝殿にあたり、神職はいなくても、高野山開山時の約束が今も伝えられ守られてることに、深く感じることがあります。


西塔大塔をバックに







西塔もなかなかいい建物です、真言宗では根本仏である大日如来を多宝塔に祀るので、思い入れが非常に強く最重要視されてるのでしょう。
大塔のところにもどると、ツアーの団体さんが大勢記念写真を。
区別はつきませんが、東アジアからみえられたようで、話してる言葉がわからない。
空海が中国で修行して帰国し開いた真言宗ですので、違和感無く溶け込んでました。
ひょっとして、今の日本人よりも信仰心が強く、こういう場所ではきちんとしてるのではないかと思えてきました。


高野山へ その6 高野山奥の院(高野町)

高野山に登った場合、いろいろ見所は多いですが、絶対欠かすことが出来ないのは根本聖地の壇上伽藍ですが、もう一つ欠かすことが出来ない弘法大師廟のある奥の院があります。
中の橋駐車場に車を停め、御廟までショートカットし、特徴のある最近のお墓を見るというのも興味深いのですが、今回は時間が無かったので、一の橋から中の橋までの大名墓だけを見ることにして、御廟へのお参りは次回の時間のあるときに(罰当たりかも)ちゃんとお参りすることに。


奥の院 一の橋加賀前田家墓







薩摩島津家墓山口毛利家墓







奥の院参道の入口にある一の橋を渡ると、うっそうとした杉の巨木の森で、参道の石畳の両側には何万というお墓が、延々と奥にある弘法大師の御廟まで続きます。
加賀前田家、薩摩島津家、山口毛利家の墓所。


小田原北條家墓武田信玄・勝頼墓







上杉謙信廟伊達政宗墓







小田原の北條氏、武田信玄・勝頼父子の墓、上杉謙信廟、伊達政宗の墓など、戦国の名だたる雄の墓も多数あります。

明智光秀墓石田三成墓







明智光秀や石田三成のお墓も、小さいながらも供養されています。
もちろん、中の橋から奥には、織田信長、豊臣家、徳川家のお墓も。

こう、見ると戦国時代から徳川時代にかけての大名家は、信仰する宗派も関係なく、敵味方も関係ない呉越同舟で、聖地・奥の院にお墓を作っておまつりされるのが当然かのごとく、存在感を示しています。


高野山へ おまけ(野迫川村)

高野山より大峯1高野山より大峯2







遠回りになりますが高野山からの帰路は、東方になる奈良県野迫川(のせがわ)村の方へ降りてみました。
山また山、これが紀伊山地といういい眺めです。
一番奥に見える山々の稜線は、左から右へ、北の吉野山から大峰山、さらに南の熊野本宮へと続く、修験道の霊場・大峯奥駆道にあたります。
高野山から南下するコースと熊野で合流するという、いにしえの聖なる霊場です。



高野龍神スカイラインの紅葉

お天気が悪くなる前に、高野龍神スカイラインの紅葉を堪能しようと9時過ぎには家を出たのですが、あっちゃへ寄り道こっちゃへ寄り道で、スカイラインへたどり着いたころには、もう2時になってしまってました。
目的の美味しいものを最初にと出来ればいいのですが、面白い興味深いのがあれば気を取られてしまうので困ったものです。


スカイラインの紅葉1スカイラインの紅葉2







野迫川村の方から高野龍神スカイラインに登り、一路、20キロほど先の護摩壇山(ごまさん)スカイタワーのある展望台を目指しました。
雲がかかって見晴らしはもうひとつでしたが、道路わきの木々は紅葉真っ盛り。
いい雰囲気で快適です。


スカイラインの紅葉3スカイラインの紅葉4







帰りはあちこちのポイントで、豪快というか、見渡す限りの紅葉を眺め、お〜!とか、うわ〜!と感動の繰り返し。

スカイラインの紅葉5スカイラインの紅葉6







かなり以前のことになりますが、高野龍神スカイラインが出来たころまでは高度成長で木々が伐採されつくし、禿山が多くそういい眺めではなかったのですが、自然を取り戻そうということで雑木の種が撒かれ、その成果が現れてきたのでしょうか。
ほんとにいい眺めになってきました。


スカイラインの紅葉7スカイラインの紅葉8







雲がかかってたのでガッカリしてたのですが、それはそれなりにいい眺めを堪能できましたので、来た甲斐はあったと大満足です。

スカイラインの紅葉9スカイラインの紅葉10







高野山から右へ取り玉川峡経由で九度山に出たのですが時間切れ、真っ暗で寂しいものでしたから、玉川峡の紅葉は再チャレンジとなります。

先輩方と高野山へ

懐かしの学生時代の弓道部の先輩方に、当館にお泊まりいただきました。

一応集合写真金剛峰寺を眺めて







宴会をして泊まられた明くる日は、ごいっしょして高野山へ。
四国・九州・関東など、遠くからおみえでしたので、あまり時間は取れませんでしたので、主な見所だけを重点的に。
一の橋から奥の院の御廟までめぐり、紅葉のきれいなところで記念写真。
こう見ると、やっぱり皆さんそれなりの年季を積まれたようです。


紅葉がきれい!壇上伽藍







奥の院から金剛峰寺、さらに紅葉のきれいな道を通って壇上伽藍へ。
大学の校風からでしょうか、かなり興味を持たれお楽しみいただけたようです。


お似合いですお気にめしたよう







不動堂やあまり目立たない西塔を、これはいいと眺めたり、さらには山王院や明神社に興味を示したりで、ちょっと違います。

まだまだ元気山上は黄葉が進んで







でも、荒川経蔵の取っ手に寄ってたかって廻す(ご利益がある)あたりは、まだまだ若くて元気です。
山上は紅葉が進んで、かなりいい雰囲気になってきてました。

懐かしくも楽しい再会でしたので、またの出会いを願いたいものです。

まだまだ情報不足ですが、気長に追加していきたいと思います。
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