奈良県の旅館 宿 奈良 五條吉野山飛鳥地域の宿泊に藤井館公式HP
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奈良県五條市須恵1丁目10-4 
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奈良の吉野山、明日香村、御所市、和歌山の高野山、橋本市などの観光に便利な旅館です
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五條市西吉野町の案内(宿のオヤジのブログ西吉野関連を手直し)
太平記の時代 南朝の夢の跡 1

北畠親房公墳墓1南朝三代皇居跡







五條市西吉野町北曽木の賀名生(あのう)梅林の開花具合を下見に行ったついでに、谷向かいに有る南朝の史跡を見てきました。
岡の上、奈良県立五條高校の賀名生分校跡地に建てられている石碑には、南朝三帝賀名生皇居之址と彫られています
鎌倉時代末期から室町時代にかけての太平記の時代、建武の新政瓦解後、京を逃れた後醍醐天皇が南朝、すなわち吉野朝を起こし、京都の足利室町幕府擁する北朝との対立がおこりました。
ここ賀名生は南朝方が吉野山を攻められ逃れた後、拠点とした所です。
岡の一番高い所には、後醍醐天皇の側近、南朝の公家方の大黒柱ともいうべき北畠親房公の墳墓があります。
「神皇正統記」を著し、後醍醐天皇亡き後も京への帰還を目指し奮闘、すごい生き様だと共感を覚えます。


北畠親房公墳墓2二百十人塚







この五輪塔は後世のものでしょうが、つつまれた雰囲気と重々しさに、感じるものがあります。
一段さがつたきわにはひっそりと、二百十人塚があり、その碑文には、
「延元正平の昔、南朝擁護の志に燃えて、宇智、吉野、更に四条畷にまで敢然と起って戦い壮烈な最後をとげた郷土の忠臣210人の忠魂を弔い、その冥福を祈り、延徳3年、西俊、珍阿の両名が、本願となりこの石塔を建て供養したもので、古くから210人塚とよんで、語り伝えられている」とあります。
山深い里の住人が忠義の志に燃え、それを貫徹し、壮烈な最期をとげるというのは・・・
言葉では言い表せない感慨深いものがあります。


忠魂碑


そして、日清戦争から大東亜戦争までの戦没者をお祭りする忠魂碑も、砲弾を前にすえひっそりと。


太平記の時代 南朝の夢の跡 2

歴史民俗資料館資料館前の説明碑







五條市西吉野町和田、賀名生梅林登り口の、国道168号線をはさんだ向かいに、賀名生の里・歴史民俗資料館があります。
この資料館には、紀伊山地の入口である西吉野地区の歴史や文化、南朝関連や幕末の天誅組関連の資料が展示されています。
詳しくは、五條市のHP賀名生の里歴史民俗資料館でご確認ください。

太平記の時代 南朝の夢の跡 3

賀名生 堀家住宅皇居の扁額







賀名生の里・歴史民俗資料館の奥に、堀家住宅があり、この建物は国の重要文化財にしていされています。
南朝三代の賀名生皇居跡で、藁葺(わらぶき)門には幕末天誅組の吉村寅太郎により皇居の扁額が掲げられ、往時を思い浮かばせる重厚な雰囲気と歴史の重みを漂わせています。

賀名生皇居由来説明堀家 裏からの眺め








この堀家は、その南北朝時代からの流れ、忠義の信念に染められているのか、日本陸軍中将で航空兵団司令であった堀丈夫氏(故人)、大本営陸軍参謀から自衛隊統幕(情報室)室長で「大本営参謀の情報戦記」の著者・堀栄三氏(故人)を輩出しています。

五條市西吉野の賀名生梅林(あのうばいりん) 登り

賀名生梅林 1賀名生梅林 2







五條市中心部の本陣交差点から国道168号線を十津川・新宮方面に南下、およそ8キロあまり、時間にして15分ほどで、賀名生梅林の登り口である、西吉野町和田に至ります。
トンネルを抜けるとすぐ右側が賀名生梅林への入口となりますが、梅の花のシーズンになりますと通行規制もあり、山すその駐車場に車を停め、徒歩で急勾配の山の斜面を周遊となりますので、結構ハードです。

賀名生梅林 3賀名生梅林 4







梅林の中に人家が点在、ちょっとした谷間も梅で埋め尽くされ、見渡す限り梅また梅の花。
口の千本、一目万本、東雲千本などと名付けられてる見所ポイントがありますが、過言ではありません。
2万本は越えるといわれている、奈良県では最大の梅林です。


賀名生梅林 5賀名生梅林 6







北曽木山の天辺付近の梅の花も、たまらなくなるほどきれいです。
青い空に映えていい感じ。

五條市西吉野の賀名生梅林 降り

賀名生梅林 7賀名生梅林 8







梅林の一番高い奥の所から、今度は下界へ梅林をぬってくねくねと。
奥千本からむこう、北のほうに見える山は金剛山の一峰。
下方の眺めも格別です。


賀名生梅林 9賀名生梅林 10







中央上部、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に指定された、修験道の根本霊場である大峯山山上ヶ岳が白銀に輝いています。
向こうの人家のあたりまで、一面の梅林。


賀名生梅林 11賀名生梅林 12







下に降り振り返って眺めてみると、山の上方、天辺近くまでこのような具合です

賀名生梅林 13賀名生梅林 14







ここからの眺めは、一目万本!過言ではないでしょう、たぶん。
梅の花は日持ちがいいので、天候にもよりますが桜よりは長期間楽しめます。
山間部の梅林ですので開花は遅く、平年だと3月上旬から中旬にかけてが見頃。


五條市西吉野の柿山

五條市西吉野の白銀地区、柿生産中心地区の様子を見に行ってきました。
五條・西吉野・下市一帯にかけて、30年ほど前から整備された五條吉野国営総合農地開発事業(パイロット事業)の中枢で、日本一といえるほどの柿の地区産地となっています。


一の木ダムダム脇の公園







一の木ダムという柿山へのかんがい用のダムが作られ、その先にはでっかい西吉野柿選場があります。
ダムを渡った所の公園は、見晴らしもよく、紅葉がきれいです。


柿山1柿山2







そこから少し登ると、奈良県果樹振興センターがあり、あたり一帯、見渡す限りの柿の山また山!
残されてる緑の木は防風林なのか?柿畑の境界なのか?

柿の木柿博物館







センターでは、広大な敷地でいろんな柿が栽培研究されています。
併設された柿博物館(そのまんま・・・)では、いろんな展示がされ、柿についての知識を深めることが出来ます。
詳しくは奈良県果樹振興センターでご確認ください。

五條市西吉野 津越の福寿草

こんな道を案内看板







この前は雪のためスリップしてたどりつけなかった、五條市西吉野の川岸から谷沿いに登っていった津越へ福寿草を目指して。
クマ出没注意のポスターとか、福寿草の説明板もちゃんとあります。

福寿草1福寿草2







このようなかわいいこじんまりした黄色の花が、斜面一面きれいに咲き誇っています。

福寿草3福寿草4







福寿草というと雪から顔を出して春を告げるというのが定番らしいですが、たくさんの群落というのもいいものです。

福寿草5山も春めいて







福寿草を満喫し、のほほんとできました。
山も春めいて、ほんとに気持ちのよいお天気です。

55年ぶりのお客様と西吉野第一発電所へ

3月のはじめにご予約いただいて、ワクワクしてお待ち申し上げていた、55年前の昭和28年に当館にご滞在いただいたお客様が、ご夫婦で元気におみえになられました。
若かりしころの赴任地めぐり、押し付けがましかったのですが、運転手としてお付き合いさせていただきました。


御霊神社の森1御霊神社の森2







この写真は五條市霊安寺町の御霊神社の森。
奥様が嫁いで来られて、ほんの数日住まれた所なのですが、ここあたりだろうというだけで、お住まいはわかりませんでした。
西吉野賀名生(あのう)の和田という所に3年間住まれたということでしたので、確認したのですが、ちゃんとした場所がなかなかわかりません。
92歳のおばあさんが出てこられ、お話を聞いてわかりました。
お子様も生まれたという思い入れ深いお家だったのでしょうが、道路拡張のため削り取られ、残念ながらありませんでした。

西吉野第一発電所1西吉野第一発電所2







そして、一番の目的地である西吉野黒渕にある電源開発の黒渕えん堤と西吉野第一発電所へ。
ご主人はこの工区の監督と設計などを担当されたそうで、いろいろ興味深い知らないお話をお聞きすることが出来ました。
戦後間もないころの人海戦術による大工事、さぞや大変な工事だったと思われます。
五條の町でも、その時の活気がいまだに語り草となってます。


西吉野第一発電所3西吉野第一発電所4







山手の谷間ですので桜も遅咲き、きれいに咲いてお二人をお迎えです。

西吉野第一発電所5西吉野第一発電所6













説明板を見ますと、太平洋へ流れる熊野川水系の水を猿谷ダムで貯水し、その水を10キロにも及ぶトンネルで分水嶺を越え北に流し、この西吉野第一発電所で落下させ発電。
その水を黒渕えん堤で取水し、トンネルで西吉野第二発電所に送り再度発電。
その水は紀ノ川沿いを潤し、さらには大阪府の南部へも灌漑用水として。
知ってみると戦後復興を担った、壮大な計画の下での工事だったんだと感無量です。

まだまだ情報不足ですが、気長に追加していきたいと思います。
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