奈良県の旅館 宿 五條 吉野山 飛鳥めぐりの宿泊に藤井館公式HP |
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〒637-0005 奈良県五條市須恵1丁目10-4
TEL:0747-22-2010
FAX:0747-22-3113 |
奈良の吉野山、明日香村、御所市、和歌山の高野山、橋本市などの観光に便利な旅館です |
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西国三十三カ所観音巡礼(和歌山県・奈良県・大阪府ほか) |
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西国三十三ヶ所巡礼 第3番 粉河寺(こかわでら)2008年7月
和歌山方面へ出かけた時に、そろそろ西国三十三ヶ所観音巡りをしないといかんなと、粉河寺へお参りしてきました。
子供のころからよく連れられて来てたのですが、疎遠になってましたので新鮮です。
五條市からですと、紀ノ川沿いに和歌山方面へ30キロ、車で40〜50分、電車ですと50分(各駅停車でゆっくりと)という地ですから、そう遠くありません。
粉河寺の入口の赤く塗られた大きな大門をくぐり、境内の川沿いをブラブラ行くと、四天王を安置した、立派な中門があります。
中門をくぐり中に入ると、若山牧水の歌碑や松尾芭蕉の句碑が。
さすが名だたる西国三十三ヶ所観音巡礼の札所という雰囲気を感じ取れます。
観音さんめぐりということですから、宗派も関係無いので、なぜか明るい。
本堂前の石組みは、桃山時代の枯山水の庭園ということなのですが・・・理解不能。
でも、見てると飽きないすばらしい迫力があります。
本堂もでっかくて、前の石組みが寂しく見えるほどの貫禄があります。
文化財に指定されるほどの古い美術的な建物ではないのですが(後で調べると、江戸中期の代表的寺院建築で、重要文化財に指定されてました、すみません)、豪快でどっしりしたお気に入りの本堂です。
三十三ヶ所札所めぐりの巡礼さんも沢山お参りしていて、神妙に般若心経をあげたりご詠歌をとなえています。
まだそこまで熱心にという心境にはなれませんが、集印帳をお分け頂き、はじめて書いてもらいました。
ここからスタートとなりますが、5〜6年かけて気長に巡ろうかなと思っています。
本堂の脇にまわりこむと、でっかいムクノキがあり、なぜか印象深く気になって眺めてしまいました。
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西国三十三ヶ所巡礼 第4番 槇尾寺(まきおでら)2011年7月
西国三十三ヶ所第4番札所の槇尾山施福寺へようやくお参りすることが出来ました。
奈良県五條市から和歌山県橋本市へ入り、そこから紀見峠を越え大阪府の河内長野市へ出、外環状線を使い槇尾寺の登り口まで約1時間、そうはかからず思ってたよりは近いです。
駐車場に車を停め、足ごしらえをして登りにかかります。
大きなカーブのコンクリート道のダラダラ坂をヨタヨタと10分あまり、ハアハア息切れしながら仁王門に到着。
雨風が吹き込むのか、痛めつけられてはいますが、なかなか味のある阿吽の仁王さまがお出迎えです。
眺めながら息を整えるためにしばし休憩。
仁王門をくぐると、これはこれはというゆったりした石段が山の中へ消えていきます。
どんどん上っていくと建物があり四丁の道標がありましたが、四丁て???でした。
まだかまだなのかと思いながらさらにどんどん登り、二丁の道標を越え、ようやく愛染堂に到着。
愛染堂の前にはすごいことに、弘法大師御剃髪所跡の碑がありました。
最後のひと踏ん張りできつい階段を登り本堂に到着。
ヨレヨレでしたがなんとかなんとか無事たどり着けました。
本堂にお参りし、納経帳へ記帳していただき、ホッと一安心。
本堂前の広場の端からは、写真の葛城山や金剛山、それに岩湧山などがきれいに。
境内をめぐり、降ろうかとして目にとまった江戸時代の道標。
右 ふし井てら(藤井寺)・さかい大坂(堺・大阪)
左側には、左 こかはてら(粉河寺)・かうやさん(高野山)。
変体仮名で書かれてますが、ポイントを押さえた興味深い地名案内です。
くだりはきついくて、痛めてた膝にこたええました。
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西国三十三ヶ所巡礼 第5番 葛井寺(ふじいでら)2011年7月
18日に大阪府藤井寺市の葛井寺(ふじいでら)にお参りしてきました。
毎月のご本尊の観音さまの御開帳日が18日と決っているからで、天候なんか関係ありません。
山麓線の葛城ICから南阪奈道路で山越えし、羽曳野ICで降り外環状道路を北上し藤井寺市を目指します。
このコースは、葛城の地から近つ飛鳥、そして応神天皇陵を盟主とする古市古墳群など、何回通ってもまた出かけたくなるたまらない地です。
車であちこち巡りながら西国三十三ヶ所巡礼 第5番 葛井寺(ふじいでら)に到着。
南大門をくぐり、境内へ。
雨のせいか訪れてる人はすくなそうですが、御開帳という特別な日だからなのか、多数のご婦人方の御詠歌を唱える声と鈴の音が聞こえてきます。
線香と蝋燭をあげ、本堂に登って御開帳の千手観音さまにお参りしょうとすると、急にお参りの方が増えてきました。
観音さまは暗くてよく見えませんでしたが、荘厳でありがたやです。
本堂裏にまわり、観音さまの説明ビデオを見、掲示されてる写真パネルを見てはじめてそのよさを実感。
葛井氏の氏寺だったが、聖武天皇の勅願によって薬師寺式の伽藍が整えられ、725年に十一面千手観音像が制作され、行基を導師に迎え開眼供養が行われたと伝えられている。
伽藍の建物は何も残っていないけど、そのご本尊が今に残され、丁寧におまつりされ崇拝されているというのはすごいことです!
帰りに目にとまった南大門前の辻に立ってた道標。
右 つぼさか よしの はせ いせ
左 道明寺 龍田 法隆寺 奈良
壷阪・長谷は三十三ヶ所、桜の吉野にお伊勢さん。
道明寺は菅原道真(菅公=天満宮)、風の神・龍田大社
聖徳太子の法隆寺、大仏さんと興福寺南円堂の奈良。
昔の旅や観光というのは、信仰に裏打ちされ彩られた巡礼の道だったのでしょうね。
そこから、同じ日がご本尊の御開帳日である道明寺へお参り。
真言宗御室派の尼寺だけあって、境内は静謐ないい雰囲気だったのですが、団体さんがおこしになり賑やかに。
ご本尊の十一面観世音菩薩様は、小ぶりですが均整の取れたいいお姿をしていました。
お姿を見て、飛鳥・白鳳期の金銅の観音さまとどこかしら雰囲気が似てると思い浮かべてました。
切り離せない道明寺天満宮さんへは、梅のころに改めてお参りすることにします。
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西国三十三ヶ所巡礼 第6番 壷阪寺(つぼさかでら)2008年12月
西国三十三ヶ所観音霊場第6番札所の壷阪寺。
正式名は南法華寺で、大宝三年(703年)、弁基上人の開山となってます。
山門をくぐり上の段に上がると、そこには新しくすえられた、なかなか立派な石造の壷阪大仏さまが鎮座しています。
その右手上方には、アジャンタの石窟寺院を模した納骨堂。
さらに上の段には、三重塔、礼堂、その後ろに、目の観音様として信仰を集める、ご本尊の十一面千手観世音菩薩をおまつりする本堂の八角円堂。
その伽藍のわきには落ち込んだ谷があり、失明回復祈願のお里沢市の夫婦愛を描いた浄瑠璃で世に広がった「壷阪霊験記」の説明板が立てられてます。
さらに上へまわりこむと、お寺の全景がきれいに眺められ、シーズンには紅葉もすばらしい。
母の里がこの近くですので、子供のころよく連れてこられた匂いの花園はもう無くなってますが、整備されて大観音石造が。
このお寺には、昭和40年代初めからのインドとの密接な交流があり、沢山の石造物がそのお返しとして送られています。
20mの大観音石像、大涅槃石像、レリーフによるお釈迦様の一代記、納骨堂、大釈迦如来石像などなど、すべて天竺渡来です。
最上部の広場からの、二上山や大和三山、それに奈良盆地の眺めが、また何ともいえずたまりません。
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西国三十三ヶ所巡礼 第7番 岡寺(おかでら)2009年10月
西国三十三ヶ所めぐりの再開。
飛鳥の里にある、西国三十三ヶ所観音巡礼 第7番札所の岡寺(龍蓋寺)へ。
明日香村の中心部、東側の山手に少し登ったところにある、天智天皇の時代に義淵僧正によって創建されたと伝えられているお寺です。
写真のような風情のある坂の茶屋さんで「にゅうめん」を食べましたが、部屋一面の訪れた方々の色紙に驚き!
そういえば以前聞いたことがあるなと思い出しましたが、忘れてました。
仁王門で入山料を払い境内へ。
何十年ぶりの訪れとなるでしょうか、いつだったか忘れてしまいましたが、境内は整備され覚えてるイメージとは少し違います。
本堂へあがり、ご本尊の日本最大の塑像といわれる如意輪観音様へお参りし、納経帳へ記帳いただきました。
この観音様は、西国巡礼だけでなく、厄除けでも有名で訪れる人が多いです。
高台にある三重塔の前からの飛鳥の里の眺めは、写真のようにすばらしいです。
遠く、金剛・葛城・二上などの山々まで見渡せます。
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西国三十三ヶ所巡礼 第8番 長谷寺(はせでら)2009年12月
紅葉見物と重なってしまいましたが、目的は西国三十三ヶ所巡礼の第8番札所「長谷寺」へのお参りです。
みやげ物店や宿などが立ち並ぶ門前町をぶらぶら楽しみながら門前に。
仁王門をくぐり、それに続く登廊をどんどん登ります。
そう古い文化財的な門や建物ではありませんが、両脇がボタン園で、長谷寺の象徴的なすばらしい399段の登廊(屋根付き階段)です。
登廊の横に出て見上げると、立派な天狗杉と本堂、それに色鮮やかな紅葉です。
のぼりきったところが本堂の右側の広場になってます。
本堂は徳川三代将軍家光の寄進で、本堂とその前に礼堂をくっつけた形式で、さらに張り出した舞台のついた堂々とした立派な建物です。
知りませんでしたが平成16年に国宝に指定されてますので、文化財的にもすばらしい建物なのでしょう。
江戸時代の寺院建物では、ほんとに珍しいのではないでしょうか?
本堂内部に安置されたご本尊は室町時代作の十一面観世音菩薩。
身の丈10メートルあまりの巨大な木造の観音立像で、何回見ても圧倒されます。
開山は686年、道明上人が天武天皇のため「銅版法華説法図」を安置したの始まり、727年に徳道上人が聖武天皇の勅願によりご本尊の十一面観世音菩薩をおまつりした事で、歴史に名高い初瀬詣、長谷信仰が広がりました。
礼堂の板の間越しの紅葉も、厳かさに色を添えてました。
本堂の向う、西の岡といわれるほうへまわると、御影堂や本長谷寺、さらに五重塔や開山堂など、重要なお堂が点在。
五重塔は戦後に建てられた新しい塔ということですが、いい姿かたちをしています。
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まだまだ情報不足ですが、気長に追加していきたいと思います。 |
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