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五條市 新町通りと吉野川付近の案内 (宿のオヤジのブログより) | ||||||||||||
奈良県五條市の栗山家住宅 |
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五條市 中家住宅 |
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五條市新町通り 入口付近国道24号の本陣交差点を起点として熊野本宮を通り新宮へ至る国道186号線を100メーターほど進むと、右側に江戸時代の古い町並みが残った新町通りの入口があります。 左の写真は、入口から西方の眺めで、一歩足を踏み入れると江戸時代へタイムスリップしたような気分を味わえますので、なかなかいいものです。 右側の写真は、少し入った所から東方、入口付近の眺めです。 この古い町並みを通る街道は、紀州街道と言ったり、伊勢街道とも言います。 紀州街道と呼ぶ場合は、西の方紀州へ向かうからだとか、徳川御三家紀州和歌山の殿様が江戸へ向かう時にこの街道を通るからとも言いますが定かではありません。 東へ向かう場合は、吉野山のすそを通り、お伊勢さんにお参りするための街道ですから伊勢街道(メインの本街道ではなく南街道)となるわけです。 総延長1キロぐらいの町並みで、見所も多いですから、それぞれについてはまた後ほどじっくりとチェックしてみたいと思います。 |
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吉野川の鯉のぼり!5月5日の端午の節句にあわせて、五條市中央部、吉野川の堤防の所に「こいのぼり」がたくさん立てられました。 こいのぼり実行委員会の方々の手によって、10メートル間隔で立てられ、端から端までは1キロを越えてるようですので、なかなか壮観な眺めとなっています。 こいのぼり実行委員会(近くの商店街の若手?)の方にお聞きしたところ、「6月の5日ごろまでは、たぶん揚げてるやろ」ということですから、保証はできませんが、まだまだ楽しめそうです。 ちなみに、なぜ6月5日までかというと、新暦と旧暦の両方の節句に対応という簡単でええかげんな理由らしいです。 吉野川こいのぼり実行委員会では、消耗が激しいため不要なこいのぼりの寄付を呼びかけています。 |
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大和の国 五條 自由市場 かげろう座07まもなく5月、5月というと五條市では「大和の国 五條 かげろう座」という自由市場(フリーマーケット)が、新町通りという江戸時代の古い町並みを中心会場として行われます。 わたしの宿の前の商励会通りや、新町の入口となるエビス通りも会場となりますので、総延長は2キロほど、出店店舗数は400、人出は5万人ですから、なかなかすごいものです。 平成5年からはじまりましたので今年で15回目、たいした予算も掛けずにこれだけの大イベントをされてるわけですから、新町塾を主体としたかげろう座実行委員会の方々の努力と苦労には頭が下がる思いです。 くわしくはかげろう座倶楽部でご確認ください。 |
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大和五條 かげろう座085月25日の日曜日、五條市の新町通り他を会場に、かげろう座08が無事開催されました。
前夜のものすごい雨でどうなるのかと心配でしたが、お昼前にはあがって、長い期間準備をされたスタッフの方々は、ホッとされたと思います。 当館の前からは、催しの一つの武者行列がスタート。 朝から来られ、身支度を整え、お昼過ぎに玄関先で新町通りの由来である「松倉豊後守重政」にまつわる口上を述べ、気勢を上げて出陣。 私も行列の後を追いかけ、フリーマーケット見物をしたかったのですが、仕事のため出かけられません。 そうこうしてるうちに、武者行列の方々はもどってこられ、任務完了の口上を述べ、くつろいで記念写真を・・・ ほんとにお疲れさまでした。 時間が無いので、あわてて新町通りへ見物に出かけたのですが、あまりゆっくりは出来ませんでした。 今年は午前中の雨と、事故によるJRの運休のため、例年よりは人出が少なかったようですが、「かげろう座」に出かけられた人はゆっくり堪能でき、楽しまれたようです。 |
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五條市 吉野川の川原散歩街の中央部、新町通り近くの吉野川にかかる、大川橋川下よりの川原へ。
国の「水辺の楽校」事業により整備され、きれいに公園化されています。 こいのぼりもまだ気持ちよく泳いでいます(6月上旬まで)。 そこから西(下流)の方へいくと、昔の吉野川にちなむ写真を陶板にしたのもあります。 吉野川(和歌山県に入ると紀ノ川)による水運で栄え、イカダによる吉野杉の集散地ともなった五條です。 吉野川が町外れの二見地区で蛇行した曲渕からの眺めもいい感じ。 そして堤防の西のはずれには、戦後「水泳五條」として名を轟かせた、県立五條高校女子水泳部の全国10連覇と、数々のオリンピック出場選手の名が刻まれた記念碑が建てられ、公園化されてました。 写真を見ると、水は満々、母なる清流「吉野川」です。 |
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五條市 吉野川 やな漁いい天気でしたので、近くの川原でのんびり日向ぼっこでもするかと出かけました。
市内中央部大川橋の下で、9月中旬から10月下旬にかけて、産卵のためくだってくる落ち鮎を採る「やな漁」が行われています。 吉野川の「やな漁」は、川幅のあるでかい橋の橋げたの間と段差を利用してますので、結構大掛かりで見ごたえがあります。 ただ問題は、落ち鮎がたくさんかかるのは天気の悪い大雨が降って増水した日ですので、いいお天気の日には鮎がかかるのを期待されず、眺めの良い川原で雰囲気を味わい、気持ちよく心の洗濯という程度で楽しまれるのがいいかと思います。 2008年のポスターは、五條市出身の漫画家・楳図(うめず)かずおさんの「まことちゃん」ですから、すばらしい! 堤防の上には、やな桟敷が設けられ、鮎の塩焼きなど鮎料理を、川を眺めながら食べることが出来ますし、地元特産のお土産の販売もされてます。 |
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五條市二見の大ムク仕事で近くを通りかかったもので、ふと思い出し、寄り道して眺めてきました。 この木は、五條市二見の足立氏屋敷内にあるムクノキの巨樹です。 幹囲(地上1.5Mの所で計るそうです)が8.5M、土際の周囲が15.8M、樹高は25Mとなってましたが、昭和34年の伊勢湾台風で折れ、さらに平成10年の風台風(室生寺の塔が被害を受けた台風)でも痛めつけられ、樹高は低くなってます。 ムクノキとしては日本有数の最大規模の巨樹として、昭和32年に国の天然記念物に指定されています。 樹齢は約一千年ということですが、理解できることではありません。 時代的には平安中期に生を受け、それから延々と気の遠くなるほど・・・ 人でいうと、親子の重複がありますから、一代30年としても三十代以上ですから、それだけ生きて人の営みを眺め続けてきたということは、驚嘆に値します。 人の手により加工され、遺物として残ってるものとはまた別次元のすばらしさたくましさ。 貫禄があり神々しさすら感じて、ただただほうけて眺めるだけ。 国の天然記念物指定なんて、このムクノキにとっては、「何をしてくれるのだ?見物人がさわがしくて迷惑だな」ということぐらいなのかもしれませんね。 |
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旧 五條代官所長屋門江戸時代末期の文久3年(1863)8月に、幕府の直轄であつた五條代官所(現在の市役所の所)は、幕末の尊皇攘夷派による最初の反幕武装蜂起といわれる天誅組の大和挙兵により焼き討ちにあいました。 その後幕府によって新たに立て直された代官所が、現在の裁判所のところで、長屋門があり、内部は五條市立民俗資料館として公開されています。 長屋門の前は史跡公園として整備され、春にはライトアップされた桜を楽しめます。 休館は毎週月曜(祝祭日の場合は翌日)と年末年始、入館できる時間は午前10時から午後4時まで。 史跡公園には樹齢200年という栴檀(せんだん)の木が数本、高くそびえています。 そう目立たない花を沢山つけてるのですが、花盛りを過ぎ、細い花びらが降り注ぎ積もっています。 |
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代官所前の蒸気機関車 金剛・ハロー号五條代官所長屋門前の五條市史跡公園の一角に、日本国有鉄道(元国鉄、今のJR)の8620形の蒸気機関車(SL)が、金剛・ハロー号と名付けられて保存されています。 説明板に書かれた内容を見ますと、大正時代初期から末期にかけて製作された、わが国最初の国産機関車となってますから、すごいものです! 有名なSL,D51などと比べると、性能は格段の差があるのでしょうが、近くで眺めると貫禄と迫力、すらっとした優美な姿、ワクワクしていつも周りをグルグルです。 何回も説明板を見てるのに、今日はじめて気になったのですが、制作費が大正14年の618万あまりということは、現在の貨幣価値にしてみるとはたしていくらぐらいなのか???なやみますね〜 |
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五條代官所跡の史跡公園の桜 例年4月のはじめでしょうか、史跡公園の桜が気を引きます。 花の下でわいわい花見をされてる方や夜桜見物の場所取りされてる方がいたりして、なんとなくウキウキしてきます。 五條市の盆地部、下界の桜が終りかけになると、吉野山の桜がはじまります。 |
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新町通りには見所沢山、順次追加していきたく思います。 | ||||||||||||